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鉄路の彼方へ

鉄路の彼方へ

早春の旅路〈1〉

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アプトの残像
アプトの残像 《平成25年2月中旬》
上越線:沼田〜後閑

上州の線路沿いに
時折見かける側溝蓋
かつての碓氷峠ラックレール
刃先のすり減り具合に
先人の苦労が偲ばれる



雪の毛渡沢橋梁
雪の毛渡沢橋梁 《平成25年2月中旬》
上越線:土樽〜越後中里

人影稀な豪雪地帯の谷奥に
今年も深々と雪が舞い落ちる
幾年の冬を耐え抜いて
その度風格を増す橋脚
また一年歴史を刻む毛渡沢橋梁



雪国へ
雪国へ 《平成25年2月中旬》
上越新幹線:越後湯沢

暗く長い退屈な時間が続き
やっと飛び出した地上の世界
南からの旅人は皆目を疑う
トンネルを抜けると突然の雪国
それは今なお変わらぬ旅の風情



降雪の夜明
降雪の夜明 《平成27年2月中旬》
飯山線:森宮野原

昼間は簡単に運休してしまう
冬の飯山線も朝は特別
深夜からの除雪で準備万端
けれど降りしきる雪は容赦ない
排雪しながら営業運転



千曲川 冬景 (2015)
千曲川 冬景 (2015) 《平成27年2月中旬》
飯山線:横倉〜森宮野原

千曲川に沿って走る飯山線
県内で一番標高の低い
最下流にあたるのだけれど
何故か沿線は豪雪地帯
立春過ぎても雪の中



支え支えられ
支え支えられ 《平成27年2月中旬》
飯山線:平滝駅

雪なんて積もることのない地域で育った身には
何とも気の毒に感じる冬の除雪
「毎日毎日きりがないねぇ・・・」
積み重なった雪の高さは
皮肉にも冬の雪国の活力源



吹雪の待合室
吹雪の待合室 《平成27年2月中旬》
長電バス:木島バスターミナル(長野電鉄:木島駅跡)

駅前で持て余す広大な敷地
向に並ぶ商店の面影
当時のままの待合室に
観光客で賑わった
繁栄の歴史を今に伝える



雪解けの季節へ
雪解けの季節へ 《平成27年2月中旬》
飯山線:森宮野原駅

長い冬に積もり積もった
雪は背丈を優に超えて
駅をすっかり覆い隠した
それでも暦通りに寒さ緩む
村民のこころ和む季節到来



至福の朝
至福の朝 《平成27年2月下旬》
長野電鉄:夜間瀬駅

りんご畑広がる高原の
小さな町の小さな駅に
今日は朝から澄んだ青空
ここはあたいらの特等席だニャン
温もりの日差しに至福のひととき



あぶない しんかんせん
あぶない しんかんせん 《平成29年2月中旬》
東海道新幹線:豊橋〜三河安城

まるで軍事施設のように
厳重に管理されている新幹線
普段はただ目障りなだけの厄介物
視点を変えれば絵になることも
気分ほんわか昭和レトロ



法律により罰せられます
法律により罰せられます 《平成29年2月中旬》
東海道新幹線:豊橋〜三河安城

方や普通はこんな雰囲気
これでもかっと言わんばかりの
縦横無尽の有刺鉄線
けれどこれだけ近くに寄ってみると
危険極まりないのは確かです



菜の花の季節がやって来た!
菜の花の季節がやって来た! 《平成29年2月中旬》
豊橋鉄道:老津〜杉山

先月まではこんなところに
菜の花畑はあったかな?
思わぬ穴場の撮影地
寒いけれども光線も良し!
共演はやっぱり菜の花電車



STOSSVERKEHR
STOSSVERKEHR 《平成29年2月中旬》
豊橋鉄道:愛知大学前

愛知県は車社会
それなりに鉄道網も整備されているが
他の地域に比べ道行く人の
あまりの数の少なさに
帰ってくるとつくづく気付く



早春の喜び
早春の喜び 《平成26年2月中旬》
紀勢本線:朝来〜紀伊新庄

冬が終わり
真っ先に春の到来を告げる梅の花
無機質な風景が支配する
雑踏の都会を離れ
南へ向かう汽車に乗る



立岩
再編集 立岩 《平成29年2月下旬》
東海道本線:新所原〜二川

東海道線の愛知静岡県境付近
立岩は岩登り愛好家の手軽な練習場
見えない奥側から手前に向かって
登攀の難易度は高くなるらしい
本日はアイゼン付けて冬山登山の訓練隊



ふるさとの赤い電車〈光陰〉
ふるさとの赤い電車〈光陰〉 《平成29年2月下旬》
名古屋鉄道:西浦〜こどもの国

ふるさとを一望する展望台は県が作ったこども公園
物心つく頃に開園して以来賑わった園内は
時代の流れとともに輝きを失い
今では随分と閑散とした殺風景
見下ろす町並みはそれほど変わらないのだけれど・・・



白棚線
白棚線 《平成30年2月下旬》
ジェイアールバス関東:白棚線(鉄道省:白棚線跡)

幹線鉄道の恩恵に与れなかった
地域のかつての中心地棚倉と
白河とを結んで走った白棚線
紆余曲折の激動を乗り越え
そこここにその特異な歴史伝える



山寺
山寺 《平成30年2月下旬》
仙山線:面白山高原〜山寺

近年では有数の積雪という
山形の山寺 立石寺
午前八時開門の入山は
参道の根雪が凍って超難儀
しかし一番乗りの風景は格別

季節の一枚 ページ



板谷峠
板谷峠 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:板谷〜峠

夜の帳が下りる頃
板谷峠の数少ない
鈍行列車はそろりそろり
音もたてずにやって来る
かつての引上げ線の脇を通って



板谷駅
再編集 板谷駅 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:板谷駅

かつての引上げ線分岐器覆い
その屋根下に移設された新ホーム
ヨーロッパのドーム駅の様な雰囲気で
写真的にはなかなかの被写体
早春の降雪に白銀の贈り物



スイッチバック
スイッチバック 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:板谷駅

新幹線開業前のかつての板谷峠は
専用機関車が行ったり来たりの
スイッチバックでその名を馳せた
豪雪地帯故の防雪施設は
上手く活用して今以って現役 〜



スイッチバック
スイッチバック 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:板谷

〜 保線車両の基地として
線路も改軌され当時の駅へ
今は新ホームへと続く
通路伸びるその“スノーヒェット”
脇を新幹線は軽快に通り過ぎる



BLEUCRISTAL EXPRESS
BLEUCRISTAL EXPRESS 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:板谷〜峠

予報に反して降雪は強まり
向きの定まらぬ突風も吹き荒れる
運良く事前に自作急造の
鎌倉もどきの風雪除けから
覗いたBLEUCRISTAL EXPRESS



鉱山町の栄枯盛衰
鉱山町の栄枯盛衰 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:赤岩〜板谷

お隣峠集落と共に
一時は大いに栄えた板谷地区
石炭ストーブの煙突か
古風な休校舎脇を新幹線
車窓の視線は皆きっと無関心

名山の旅 付録ページ 吾妻山



峠駅
再編集 峠駅 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:峠駅

奥深い山道の奥のその立地から
久しく訪れなかった峠駅
この冬は数十年振りの豪雪と言う
峠の道は雪壁に囲まれた一車線路
走って来ただけの価値ある別天地

驛 特設ページ 



継続はやがて伝統へ
継続はやがて伝統へ 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:峠駅

峠駅の知名度を全国区に上げているのは
歴史あるホーム立ち売りの“峠の力餅”
スイッチバックが無くなってからも
お昼の汽車に合わせて毎日販売
帰りの足取りは売れ行き次第



峠を越えて
峠を越えて 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:大沢〜関根

山形新幹線は福島を出ると
奥羽本線の難所 板谷峠越え
かつては喘ぎ登った急登も
今では最新電車で軽々と
峠を下ればそこは雪国 米沢盆地



頑張れ盲導犬
頑張れ盲導犬 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:置賜〜高畠

立春も過ぎたと言うのに連日の
氷点下十度の米沢盆地
川縁には朝霧が立ち込めて
朝日に照らされ近づく影二つ
相棒と信頼し合って進む路



氷点下の朝
氷点下の朝 《平成30年2月下旬》
奥羽本線:置賜〜高畠

冷え込んだ雪原にうっすらと
夜半の粉雪朝日を浴びて
消えては漂う朝霧の彼方
遥かに飯豊の山並現れる
凛々しい一日始まる予感

季節の一枚 ページ



まほろばの夢
まほろばの夢 《平成30年2月下旬》
山形交通:高畠駅跡

それにしては立派過ぎる
駅の賑わいはまほろばの夢
その後の乗り合いバスも
何時しか消えて人影もない
先人の偉業だけが佇むのみ



北海道新幹線(青函隧道)
北海道新幹線(青函隧道) 《平成31年2月下旬》
北海道新幹線・海峡線:奥津軽いまべつ〜木古内

この地へは実に何年振りなのだろう
今回は直行の道程で長かった事・・・
片道千キロメートル近くの大移動の末
北海道へあと一歩の“玄関口”到達
残雪の“北の観光地”は未だ静寂が支配



北海道新幹線(奥津軽いまべつ駅)
北海道新幹線(奥津軽いまべつ駅) 《平成31年2月下旬》
北海道新幹線・海峡線:奥津軽いまべつ駅
及び
津軽線:津軽二股

つい一昔前までは広大な原野と耕地
そんな所に新幹線の駅が出来て
場違いな幾何学的巨大建造物
箱物施設作りは過剰壮大中身無し
表面上の雰囲気で悦に入る国民性



青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)

国鉄時代と民営化後の廃止間際に利用
当時はそれ程までには特別な愛着も
抱いていたとは言い切れなかった存在
年と共に旅に対する感情も移り変わり
船旅ならではのあの独特の高揚感が懐かしい 〜



青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)


《思い出の中の風景》

羅針盤




青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)


《思い出の中の風景》

グリーン船室




青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)


《思い出の中の風景》

航送船室




青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)


《思い出の中の風景》

主要機関




青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)


《思い出の中の風景》

機関室




青函連絡船の思い出
青函連絡船の思い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)


《思い出の中の風景》

郵便輸送




青函航路の想い出
青函航路の想い出 《平成31年2月下旬》
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(八甲田丸)

〜 そもそも鉄道にだってそんな感覚は
連絡船が活躍していた頃には確かに
存在していた様に記憶している
それらは徐々に徐々に薄まって
気付けば殺風景な効率偏重の時代



時流今昔
時流今昔 《平成31年2月下旬》
青い森鉄道 及び 奥羽本線:青森駅

あっちもこっちも上手く撮れない連絡船
諦めかけて駅を見下ろせば“四季島”発見
この手の汽車は団体周遊観光の豪華鉄道版で
そもそも旅情が感じられないので興味皆無も
見かければ撮り逃さずにはいられないのは性



哀愁鉄道
哀愁鉄道 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰

そもそもの主目的だった青函トンネルと連絡船
そちらの収穫は見込めずと予定外の津軽鉄道
“予習”無しでの撮影地探しでまず目に留まったのは
古風な駅と林檎の貯蔵倉庫に駅前の未舗装道
鉄道貨物華やかな時代の賑やかな構内風景偲ぶ 〜



哀愁鉄道
哀愁鉄道 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰〜毘沙門

〜 実はこの辺も一度撮影に寄り道していた場所と気付く
雪深い津軽も今冬は異常小雪で春の訪れも早い様
広大な田園上空ではひっきりなしに渡り鳥の編隊飛行
季節風はまだまだ冷たいけれどそろそろ北へ帰る予行演習か
“冬型”の空模様の中 小さな踏切 名物ストーブ列車行く



早い春告げ
早い春告げ 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰〜毘沙門

例年の今頃はまだ深い雪景色の
津軽の遅い 遅い春のはずが
今年はかなりの記録的小雪
黒々とした大地が早々と
名残の冬空の下 顔を覗かせ



哀愁列車
哀愁列車 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰〜毘沙門

数年前からストーブ列車には通常の気動車が併結されて
観光客と地元客の両方に便宜を図った運行だと言う事は
知っていたのだけれど編成にまでは知識が無かった
二本目の定期便は可愛い機関車牽引の二両連結便
見つけた丘の上から広大な残雪の田園見下ろす撮影に挑む



哀愁列車
哀愁列車 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰〜毘沙門

三本目は午前同様に気動車と客車の一両ずつ
光線状況や見栄えも考慮して撮影地変更
と言っても朝の麓へ戻っただけ
曇りがちのお天気はあまり気にも留めず
寒さの中辛抱した甲斐はそれなりにあった

季節の一枚 ページ



哀愁鉄道
哀愁鉄道 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰〜毘沙門

この旅初めてのそれなりの充実感に
車に乗り込み撤収し出して直ぐに
“感じる物あり”で咄嗟の手持ち撮影
朝から気にはなっていた木製架線柱
この手の撮影には背景が物を言う



哀愁鉄道
哀愁鉄道 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰駅

“林檎倉庫”の朝の古風な駅に戻る
駅舎自体もかなり趣があるのだけれど
駅名板に住所が記してあるのも微笑ましい
“架線柱”同様ここでも背景が一役
暫く空の変化を待ちつつ時を過ごす 〜



哀愁鉄道
哀愁鉄道 《平成31年3月上旬》
津軽鉄道:津軽飯詰駅

〜 名残の西の空を背景に
最後に視線が捉えたのは
雪国伝統の素朴な防雪柵と
微妙に歪んで使命全うの
哀愁鉄道に潜む魅力の断片



五能線の旅
五能線の旅 《平成31年3月上旬》
五能線:深浦〜広戸

翌朝からは暫く五能線の散策
季節風吹く初日は波が絵になったので
あれこれ物色も結局既知の神社へ
果てしなく段丘が発達する沿線風景
この旅唯一の鉄ちゃん発見も霞が春を告げる



五能線の旅
五能線の旅 《平成31年3月上旬》
五能線:深浦〜広戸

フィルム機時代以来久々の五能線
長い沿線も好撮影地は局所限定
どうしても撮り易い其方へ足は向く
けれども彼是決定打を見出せず
岬・丘・岩礁・波打ち際と試行錯誤



五能線の旅
五能線の旅 《平成31年3月上旬》
五能線:驫木駅

今では愛好家の間でかなり有名な驫木駅
半世紀前の寅さん映画の最終盤のロケ地として
さくらが降り立った当時とあまり変わらぬ姿
劇中では何故か当地は鰺ヶ沢町驫木と紹介も
実際には当時も今も深浦町 雑念は邪念!



五能線の旅
五能線の旅 《平成31年3月上旬》
五能線:深浦〜広戸

深浦の街からすぐの有名撮影地
この時期は“季節”ではないのか週末も
鉄路にレンズを向ける人影は皆無
定番の道路脇からの画角に飽き足らず
翌日は反対側の崖によじ登り夕景撮影



五能線の旅
五能線の旅 《平成31年3月上旬》
五能線:十二湖〜陸奥岩崎

通称ガンガラ穴のある景勝海岸
以前はお天気の関係か通過しただけで
ここでの散策・撮影は今回が初めて
お天気も微妙で定番撮影地も微妙で
名も無い穴から白神岳を背景に一枚

名山の旅 付録ページ 白神岳



五能線の旅
五能線の旅 《平成31年3月上旬》
五能線:岩館〜大間越

少しずつ少しずつ僅かではあるけれど
自宅方向へ向かっての撮影行
この画角は以前経験済みのほぼそのまま
レンズが更に広角になったお陰で幾分楽に
磯を取り込みまとめる事は出来たけれど・・・



元信号所
元信号所 《平成31年3月上旬》
羽越本線:女鹿駅前

元々は列車交換用に森の中に増設の
信号所が集落の人々の熱意もあってか
国鉄の改革と時を同じくして停車場に
念願の現実はしかし極閑散ダイヤで
この先駅がある事すら疑わしい存在幾年



暮坪
暮坪 《平成31年3月上旬》
羽越本線:あつみ温泉〜五十川

脇の国道を通り過ぎる度に気になっていた
今回も移動途中ながらこの風景を初撮影
お天気はいまいちも船溜まりに人影が
時間直前になって“一休み”になってしまった
海草取りのおじさんと珍しい四混色列車



災前回復の願い
災前回復の願い 《平成31年3月上旬》
羽越本線:小岩川

街並が撮れそうだと寄り道の
小岩川集落散策 黒瓦の屋根
越の国に広く点在の美景に
その夏襲った震度六強の揺れ
報道の惨状空撮は此処であった・・・



集落内の県境
集落内の県境 《平成31年3月上旬》
羽越本線:鼠ケ関

地理好きはとにかく出来るだけの風景は見ておきたい
そんな衝動から進入路を逃がしつつも偶々立ち寄った鼠ヶ関集落
事前知識もなく目に飛び込んできた目立つ石碑は県境の証
個人的興味の正に対象物件遭遇に運良く背景は駅構内
偶然通りかかった越後側叔母さん三人組に実情も聞け充足



旧線銀座
旧線銀座 《平成31年3月上旬》
羽越本線(旧線):勝木〜府屋

羽越本線村上〜鶴岡間の風光明媚な
海岸沿いの鉄路は輸送力増強目的で
国鉄末期計画された新線複線化に依って
効率優先の味気無い暗闇鉄道へ風情捨て去る
相反する魅力融合の術知る賢者現る日は来るか



寝屋
寝屋 《平成31年3月上旬》
羽越本線:越後寒川〜勝木

村上市街から笹川流れを北上する国道
その終点近くの最後の漁村が特別情緒
以前から気にはなっていたのだけれど
イカ釣り漁船の先の鉄路は現役線だった
此処でこんな風景が撮れるとは今まで迂闊



日本海に一番近い駅
日本海に一番近い駅 《平成30年2月下旬》
信越本線:青海川駅

日本海に一番近い駅
青海川駅は観光名所
今日は生憎のお天気で
平日の為人気は無い
その侘しさが旅情の神髄



日本海縦貫線
日本海縦貫線 《平成30年2月下旬》
信越本線:米山

昭和の時代の青少年向け鉄道単行本
腰のある紙 A6版程の手のひらサイズで
厚みのあった人気シリーズ“コロタン文庫”
印象に残る故真島氏の重厚な作品は
確かこの米山でのものではなかったか・・・



雪原 (2018)
雪原 (2018) 《平成30年2月下旬》
えちごトキめき鉄道:関山〜二本木

関川の緩斜面に広がる田園地帯
豪雪の当地は冬は一面の銀世界
初めて味わったかんじき体験
苦い思い出も今では笑い話
当時の風景が未だ此処には有り



時代の流れ
時代の流れ 《平成27年3月上旬》
信越本線:妙高高原駅

上野から北陸へは「白山」や「越前」
名古屋から新潟へは「赤倉」など
国鉄時代までの多くの直通列車
JRに移行後は次第に無くなり
ついには駅も移管の春へ



飛び出し坊や
飛び出し坊や 《平成28年3月上旬》
近江鉄道:太郎坊宮前〜市辺

近江の街を散策すると
誰しも気になるあの子の存在
湖東の人口密度はひと際高い
近年色々に呼び親しまれているようだけれど
個人的には昔も今も“五分刈りくん”



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